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 いよいよ今年の教会の暦も最後の日を迎えました。教会は「王であるキリスト」をたたえ祝いながら、一年間を締めくくります。

ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねられたときも、十字架の罪状札に「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かれ、人々が「お前がユダヤ人の王ならば、自分を救ってみろ」と嘲っていたときも、王の姿は見えず、惨めな姿のイエスしかわたしたちの目には映りません。しかし、十字架上のご死去を見て、見物の群集は胸を打ちながら帰り、傍に立っていた百人隊長は「まことにこの人は神の子であった」と言っています。

わたしたちはそのイエスを王として、いのちをかけて生き、従っているのです。惨めな十字架上のイエスの姿の奥に王であるキリストを認め、信じ、従っていくのがキリスト者なのです。

 典礼暦年を終えるにあたって、この一年間の歩みは如何だったか振り返ってください。特に心に留まるイエスの「みことば」を捜し求めてきたでしょうか。それを見出し、大切にしながらしばしば思い起こし、口ずさみ、心に暖めてきたでしょうか。この努力こそ霊的進歩のポイントとなるところです