| わたしが志願院に入ってまもなく、召命についての嵐が吹き荒れてきました。夏休みに帰省したある志願生が、誰かから「サレジオ会などだめだ」、「サレジオ会の司祭になっても働き甲斐はないぞ」と教えられたのを志願院に持ち帰って、皆に言いふらしました。特に高学年の志願生たちの間では、集まるとこの話になりました。その時、一人の志願生が満面に笑みを浮かべて「わたしはドン・ボスコが好きだ。だからサレジオ会員になるのだ」と大声で言いました。「司祭になりたい。キリストと一致するためにミサを捧げたい」という一心で志願院に来たばかりで、サレジオ会や修道会のことなどほとんど分からなかったわたしは、「ドン・ボスコが好きだ。だからサレジオ会員になるのだ」という考えや生き方に新鮮な驚きを感じながら、自分はもっと理解し、学ばなければ「好きだ」、「愛するのだ」と公言できないなと感じ取ったことでした。
一八五四年一月のある夜、ドン・ボスコの部屋に四名の若者が招かれました。ドン・ボスコは彼らにサレジオ会の構想を始めて明かしたのです。そのうちの一人、後に初のサレジオ会員枢機卿となったカリエロ青年は、ドン・ボスコのことばに憤慨し、「ドン・ボスコはわれわれを修道者にしようとしている」とつぶやきながら一晩中校庭を歩き回っていたと伝えられています。しかし、彼はドン・ボスコが好きだ、離れられないという信念から、あらゆる艱難を排して、生涯ドン・ボスコの傍らで生き抜きました。
あの秋の夕日に映えた校庭で「ドン・ボスコが好きなのだ」と叫んだ志願生の喜びに満ちた笑顔を今もって忘れることはできません。それと共に、その後多くの友人たちが自分の召命に揺らぎ、引き下がったなかで、この一言で「わたしはこの道を」と、力強く踏み出すきっかけになったのだろうと今も思い出しています。
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