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四旬節の第四週を迎えます。典礼的に、この日は「喜びの主日」と呼ばれています。四旬節の悲しみのこの季節にと疑問をもたれる方もおられることでしょう。「聖書と典礼」の注に「入祭の歌を歌わない場合は入祭唱を唱える」と指摘されているように、典礼改革以前にラテン語で司祭がミサを捧げていたときはこの入祭唱のことばで始まっていたことに由来します。そこにはイザヤ書の「神の民よ、喜べ。悲しみに沈んでいた者よ、喜べ」ということばがあります。教会は、復活の喜びに向かって進んでいく信者に「喜べ」と声をかけてくれます。
「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則(27)」には次のように書かれています。『四旬節は、復活の祭儀を準備するために設けられています。四旬節の、典礼によって洗礼志願者はキリスト教入信の諸段階を通して、また、信者はすでに受けた洗礼の記念と償いのわざを通して、過越しの神秘の祭儀に備えるのである。』
洗礼志願者は洗礼の秘跡に向かって最後の準備に入っています。信者の一人ひとりは洗礼の恵みと喜びを新たに思い起こし、信仰の歩みを振返りながら感謝をささげるとともに、償いの犠牲を各自で心掛けることが勧められますが、これが即ち四旬節のつとめにつながっていきます。
これによって、今日の答唱詩編に歌われるように「主は、われらの牧者、私は乏しいことがない」と喜びの心で牧者キリストとともに、過越しの祭儀を祝うために歩んで行けるのです。
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