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 ローマで司祭に叙階されたシドッティ師は、その地で教区の職務を得、司祭としての勤めを果たしておられたが、鎖国中の日本への宣教の思いに駆られ、その時中国に派遣される教皇特使とともにジェノバを発ったのが1703年であった。間もなくマニラに着いたものの、日本への渡航の道は絶たれており、やむなく四年間をそこで費やすことになった。
 しかし、マニラでの滞在も無為なときではなく、日本語の習得に努めるかたわら病院や福祉事業への協力、神学校建設募金への奔走に尽くしていた。
 このような働きのニュースがローマにも届き、『教皇クレメンス]T世は「そのままマニラに留まってすばらしい活動を続けるように」との書簡を送られた。しかし、それが手元に届く前にすでに彼は日本に向けて出発していた。」FONSの記事) 資料によるとローマ聖省は1714年9月29日付でシドッティ師を当地の教区長として選任しているが、その時はすでにキリシタン屋敷の地下牢に閉じ込められていたときであり、もし、ローマの決定がマニラ滞在中にシドッティ師の手元に届いていたならば、日本宣教を志していた師にしてもそれに従っておられ、「日本のシドッティ師」は実現していなかったのだろうと思われる。
 神のはからいは人間には考え及ばないことだが、人間世界の営みを通じて働かれ、導いておられる。今もわたしたちの周りに、神のはからいが展開していることをつかまねばならない。