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 七月の初金曜日、婦人会主催の山中湖へのバス旅行に参加しました。次の日曜日、先月帰天された目黒星美学園小学校の初代校長アンジョリーナ・バローネ・シスターの追悼ミサが行なわれました。バス旅行の途中で立ち寄り、聖体訪問をした山中星美ホームは、戦時中、シスター方が東京・清水・藤枝と戦火を避けて疎開を重ねやっとたどり着いたところです。戦中、戦後の食糧難は涙なく聞くことの出来ない話の連続です。
 戦後、子どもたちを村の学校に通わせていましたが、帰ってくる頃には鼻緒の切れた下駄をぶら下げて帰ってくる始末で、院長様は県の行政指導をしているアメリカ軍の責任者に、下駄の購入を手配してもらうようシスターを甲府市まで送りました。 話を聞いた担当の方は、早速秘書を呼んで「山中湖村に小学校開設の願書」を作成提出するよう命じました。下駄を購入する手続きに一筆を願ったところ、考えてもいなかったことに発展して、それを固辞したところ担当官の答が表題のことばだったそうです。
 サレジアン・シスターズの未来を予見したアメリカ軍の行政官と、その後、学校教育に力を入れることになった修道会の教育活動の発端に、アンジョリーナ・シスターが大きくかかわられたこと、その場所を訪れることが出来た摂理のはからいを思って祈りました。
 「季節が来たら種を蒔く」わたしたちの霊的生活にも、その時のために今どのように生きていかねばならないか、考えさせられます。