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 毎月、司祭月例集会でカテドラルに行く途中、道路拡張工事中の商店街を抜けねばなりません。そこの信号を抜けるにはかなり止められるので、自然とあたりを観察することになります。隣の店が立ち退いて横の壁だけになると頼りない姿の小さなゲームセンターがありました。この店も時間の問題で移転させられるのだろうと考えながらいつも眺めていました。

ある時、開店前の店で、一人の若い店員が入り口のドアガラスを、それはそれは丁寧に拭いていました。その時、自分の部屋の窓ガラスをあれほど丁寧に拭いたことがあっただろうか。最後に窓拭きをしたのはいつだったろうかと考えても思いつきません。

あと少ししたら閉店、解体にいたる建物でしょうが、丁寧に拭き上げる努力に感心を通り越して、唖然としてしまうとともに、わたしなら「どうせ」という心が先にたって、掃除やら、補修やらは完全な手抜きでごまかしていくだろうなと考えると、自分の取り組みようを大いに反省させられました。

わたしたちの日常生活の中で、しばしば「どうせ」という心情が入り込み、正道から少しずつそれてしまって、それに気づかず平気でいることがあるのではないでしょうか。今年もすでに八月になりました。わたしたちの心の拭き掃除は、あの店員がやっていたような丁寧なものでなくとも、簡単な拭き掃除ぐらいやってみましたか。今月は三回教会の鐘を鳴らすように区役所から要請されています。原爆の時と終戦の日です。もちろん教会の鐘は皆さんのところまでは届かないでしょうが、心の拭き掃除はしてください。