FONS(フォンス)はカトリック碑文谷教会の広報誌です。教会聖堂にて配布しております。





VOL.82  2006.4.21



82号の主な記事
・「世の闇を照らす光」   アキレ・ロロピアナ神父
・神のご計画を記念する典礼暦年(上)
・「悲しみの聖母」に捧げられた築52年の聖堂におもう
・お元気で、スミス神父様    「一声で」
・世田谷南宣教協力体だより
・教会委員会だより     ―十二月から二月―
・ミサ朗読を軽んじないで!
・「コーヒーコーナーについて」
・大聖堂の耐震診断等の調査報告について           教会委員会
 


「世の闇を照らす光」   アキレ・ロロピアナ神父

 今年もご復活の祭日を迎え、その喜びを味わうことができたことを感謝いたします。

「おめでとうございます。」

 復活徹夜祭の初めに光の祭儀が行われました。♪キリストの光♪ と助任司祭が歌い、それに♪神に感謝♪と大声で私たちは応えま した。きらきら輝く復活ろうそくの火は、回りの暗闇に打ち勝ち、 独特な雰囲気を作ります。そして、少しずつ、皆さんのろうそくも灯され、少しずつ周りが明るくなり、キリストの光の勝利が感じられ、祝われます。ご復活は光の祭日です。私たちは暗闇の中で生きていけません。暗い場所にいる子供は泣き、暗い所にいると大人でも不安を抱きます。逆に、明るいところにいて、すべてがはっきり見える時に、安心です。

 毎日の生活の中で、困難や、病気、誘惑、葛藤などのような心の痛みを体験する時に、私たちにはすべてが暗く見え、そして顔も暗くなります。そういう時こそ私たちは、キリストが周りを照らし、周りを暖める光であることを思い出さなければならないのではないでしょうか。確かに、キリストの目、つまり、信仰の目で問題や状況を見、判断するようになってはじめて、私たちは本物のキリスト者であり、キリストが見せてくださった道を歩む者となります。ヨハネははっきりと教えています。

 

「神は光であり、神には闇がまったくないということです」(ヨハネの手紙1.15

 

  わたしたちが神のこの光に包まれるように、そしてその光を輝かせるようにキリストはこの世に遣わされました。その結果、キリストと出会う人は、その光に照らされている人、明るい人、喜び溢れる人になるはずです。私たちが喜んでいることをキリストは強く望んでおられますので、福音を与えてくださいました。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(ヨハネ15,11 聖人たちの伝記を読んでも分かりますように、聖人たちは、試練や苦しみの中でも、心の中で喜びを感じていました。「暗い顔をする聖人は本物の聖人ではありません」とドン・ボスコは子供たちに繰り返して言っていました。そして、すぐれた聖人の中で、ユーモアのある人は少なくありません。アヴィラの聖テレジア、聖フィリッポ・ネリ、聖ヨハネ・ボスコは典型的な例であります。

 世の中の出来事には、特に人間関係においては、キリストの光が目に映らないかもしれませんが、愛徳の行為や人間の微笑みと親切は、はっきりと見えるものです。

 復活されたキリストの光を浴びている私たちが、愛徳の行為や親切、微笑み、そしてユーモアをもって、世の中を照らし、隣人を暖め、力づけることは、私たちに与えられた使命ではないでしょうか。



 

神のご計画を記念する典礼暦年(上)

                                                    典礼小委員 ヨゼフ 大井  薫
 教会は、神の天地創造から、そのわざの完成、主イエス・キリストの再臨までを、私たちの信仰をゆるぎないものとするために、一年を年間と季節に分けて記念する典礼暦年を定めました。
 「主の復活」の祭日に当たり、すでに過ごした四旬節と、復活節を中心に述べます。
 待降節(十一月二十七日から十二月三日までの間の日曜日から始まる)を経て「主の降誕」を迎えます。この間、栄光の賛歌は唱えず、主の来臨を待ち望みます。十二月二十五日「主の降誕」の深夜ミサ中、あわれみの賛歌の後、栄光の賛歌を声高く歌い「降誕節」が始まります。「聖家族」の祝日、「神の母聖マリア」の祭日(守るべき祭日)「主の公現」の祭日を経て「主の洗礼」の祝日で終わります。翌日から年間第一週が始まり、「灰の水曜日」の前日でいったん終わります。
四旬節―カトリック生活三月号参照―
 私たちの信仰の原点である、主イエス・キリストの復活を、清い心で迎えるため、キリストが公生活を始める前に、荒野での四十日の断食をなさったことを記念して主の復活の四十六日前の水曜日を「灰の水曜日」と定め、回心のしるしとして、前年の受難の主日に用いた棕櫚の枝を焼いた灰を額につけます(灰の式)。「土から出たおまえたちなのだから、その土にかえるまで。ちりであって、ちりにかえるべき者よ(創世記3―19)」との神のことばを黙想します。
 旧約時代から回心のしるしとして、灰をかぶる習慣にならったものです。この日から聖木曜日「聖香油のミサ」の後、「主の晩さんの夕べのミサ」の前まで続きます。
 『洗礼志願式と洗礼準備期』
 洗礼は本来、復活徹夜祭に授けられるもので、四旬節はその準備期間としての性格をもっているので、洗礼志願式は第一主日に行われます。当教会ではその日にも灰の式を行いますので、第二主日に行います。この式において志願者は洗礼を受け入れる意志を表明し、教会は、その人が神から選ばれた者であることを表明します。ここから始まる準備期の間、志願者の心は良心の反省と回心のわざによって清められ、聖霊に照らされてキリストの深い認識に達するように導かれます。また、第三・四・五主日には「洗礼志願者のための典礼」が行われ、教会は志願者の決意が固められるよう祈ります。
 四旬節の初日灰の水曜日と、聖金曜日は断食の日とされ、大斎と小斎が守られます。
(詳細は受難の主日の聖書と典礼、聖なる過越の三日間の聖歌案内にあります)
 教皇は、信者が四旬節の精神をよく理解し、回心と愛のわざに励むように呼びかけます。これにこたえて「四旬節愛の献金」を行います。
『聖週間と聖なる過越の三日間』
 聖週間は「受難の主日」から始まります。エルサレムのユダヤの人々が上着を道にしき、棕櫚の枝を振って王とし迎えていた、主イエス・キリストのエルサレム入城を記念する式から始まりミサに続きます。
 キリストは人間にあがないをもたらし、神に完全な栄光を帰するわざを過越の神秘によって成就され、ご自分の死をもってわたしたちの死を砕き、復活をもってわたしたちに「いのち」をお与えになりました。このため、過越の聖なる三日間は、全典礼歴年の頂点として輝き、復活の祭日が、その最高位を占めているのです。
 聖木曜日は、主が最後の晩さんで、聖体の秘跡を制定されたことを記念して夕方以降にミサを行い、この時、栄光の賛歌(四旬節中は祭・祝日、叙階式などをのぞいて唱えない)を鐘をならして歌います。以後鐘は徹夜祭まで鳴らしません。四旬節中と聖木・金・土曜はアレルヤ唱は唱えません。
 主のご受難とご死去を偲ぶ主の受難の祭儀は、ご死去の刻限三時ごろから行われる習慣がありますが、当教会では午後七時からです。当日が満月であったことから、復活の祭日は、春分後の満月の後の日曜日と定められ、このために、毎年日付が変わるのです。主のご死去を記念して聖金曜と聖土曜日にはミサを行いません。

 「主の復活」の祭日

 復活の祭日は、一年間の内、最も大きな喜びをもってミサを捧げます。徹夜ミサでは洗礼式|当教会では日中のミサ|が行われます。
 復活後、主が弟子たちと共におられた四十日後に、神のもとに昇天されたことを記念して「主の昇天」(日本ではその直後の日曜日)の祭日を祝います。さらに十日後主キリストの約束された聖霊が弟子たちに下り、大いなる智恵と勇気を与えられ、全世界に福音を述べ伝える、教会の誕生の日とも言える「聖霊降臨」の祭日をもって復活節を終わります。以後、四旬節前に中断した「年間」に戻ります。
  (次号に続く)


 

「悲しみの聖母」に捧げられた築52年の聖堂におもう

  一九五四年、フルステンブルグ大司教司式により献堂式が執り行われ、以来五二年間、神の家として多くの信徒を迎え入れ、信仰を育む私達を、雨の日も風の日も安心してお祈りできるよう見守り続けてきたその聖堂の姿にふと目をやると、築五二年の貫禄を感じると同時に、あちらこちら痛ましいほどの老朽化が目にとまる。
 つい最近のこと、聖堂でお祈りをしている時に、子供の頃ミサ中に祭壇上部の模様をみて、チョコレートを連想しながら、うっとりとしていた事を思い出した。そのままず〜っと天井に目を這わせ、当時のフェラーリ修道士のフレスコ絵画制作の様子を思い浮かべていると、あっと気になる箇所で視線の流れが止まった。そこは、美しい模様の続きが白いペンキのようなもので補修されていた箇所だった。胸が熱くなった。
 今まであまり気にも留めていなかった聖堂本体だったが、天井や壁に痛々しい傷の手当をしてあるのを見て、はじめて「今まで有り難う。そして傷ついた部分は私達が直してあげるから、また今までどおり見守っていてね」と心から思ったのである。
 当時、いちめんの麦畑、野菜の洗い場にもなっていたという池あり、川ありの低湿地の上に、総建坪三一七坪、間口一六メートル、奥行四七メートル、鐘楼の高さが三六メートルという規模の、当時日本一を誇る大聖堂を建てるということで、その基礎工事は並大抵のものではなかったようである。
 この地に一粒の種が蒔かれた。
 今では考えられないが、その低湿地対策として、松の杭を数千本も埋め込んである珍しい写真もある。ある箇所は、長い松の丸太を六〜七本縦に繋げて埋め込んで、やっと硬い底の部分にぶつかったという話もある。何という産みの苦しみだったろうと感動する。
 聖堂のモデルは、故ダルフィオール神父様の出身地、イタリア・ヴェロナ市内にあるサンゼノ大聖堂を模したものと言われ、その大きさはモデルの約二分の一ということだ。
 ダルフィオール神父様は、聖堂でよくアヴェマリアをお歌いになっていらっしゃった。「悲しみの聖母」を思い、祈りを捧げられていたのだろうか。ある時は、遠いイタリアの故郷を思い出し、サンゼノ大聖堂に思いを馳せながら歌われていたのではないかと想像する。神父様の美しい歌声は、高い天井まで届き、壁を伝わり、きれいに響いて私達のところに達した。ダルフィオール神父様がこよなく愛されたこの神の家、神父様のお声によってさらに清らかにされたこの聖堂を、これから先、色あせ朽ちることのないよう、みんなで力合わせて守っていくことは私達の喜びであり、また使命であると感じる今日この頃である。
                                            編集委員 アンナ・マリア 松原 久美子


 

お元気で、スミス神父様    「一声で」

 「スミス神父、どうしようかな?」「どうぞ仰ってください。その通りいたしますから。」このようなやり取りで当時の管区長ダルクマン神父様から派遣されて来たところが目黒サレジオ中学校。年は1964年、時あたかも東京オリンピックの年で、日本中が湧きだっていて、環七も突貫工事で造られていました。オリンピックの開催日には飛行機で描かれた五輪のマークが東の空に浮かんでいたのが見えました。あれから後の四十年、日本中を行ったり来たり、まるでスマートボールのように転々と勤め上げ、「スミス神父、目黒の幼稚園に行って欲しいんだがねえ……」との藤川管区長様の一声で再度こちらに着任したのが二〇〇〇年、大聖年の年でした。前回三年間こちらにいたときには、教会のことは全くタッチしていませんでしたが、今回は最初から毎日曜日の朝七時のミサはずっと私の担当となっていました。それから小聖堂での毎朝のミサは交代で、その他少しでしたが、結婚式のお手伝いもさせていただきました。おかげさまで信者の方々とも親しくなり、楽しい行事に呼んでいただいたりして、たくさんの思い出をもつことができました。
 このたびまた「スミス神父、四谷の管区長館に来て下さい。」とプッポ管区長様から声を掛けられ、四谷の修道院へ移ることになりました。
 こちらの教会の皆さんが、心を一つにして働いておられるのを見て、いつも感心しておりました。四谷に移ってもこちらに来る機会がありますので、そのときはよろしく。         
                                                       リチャード・スミス神父
                                                 


 

世田谷南宣教協力体だより

1 合同活動目標について
 今年の活動目標について様々な意見が出され、これまで三教会の合同行事の活動実績を基に互いに理解と親睦を深めさらに実りあるものとなる様、話し合った。一方、この協力体の存在・活動について、信徒の方々にはまだ広く知られていない側面もある。協議会では活動の意義を皆様方に、より理解を深めて頂き、各々の教会の特性を活かしながら且つ具体的な活動を模索しながら共に協力していくことを申し合わせた。
2 宣教司牧評議会の報告
 当世田谷南協力体の藤浦益巳さんが一月二一日、同評議会に出席され(下記)岡田大司教様からご挨拶があった。
“東京教区の宣教司牧評議会の活動として2年前の一月に評議会(第一期)をスタートさせ今回、第二期を迎えることになった。第一期は外国籍信徒拡大対応、心の問題への取組み、信徒の養成等の優先課題に対する意見交換、動き始めた宣教協力体についての情報交換を行ってきたが継続的な課題に取組めなかった。
 第二期は「十年後のために今(すべきこと・できること)という命題に対して評議会から「提案」という形でまとめてほしい。 “また幸田司教様から “この評議会の第二期の内容として今後、隔月で開催しこの命題に対して今年度はいくつかのグループで討議し十一月に「提案」をまとめるための三月以降のマスタースケジュールが示された。
 「提案」内容は第一期の優先課題を含めた小教区および宣教協力体のあり方となる。
以上、評議会の報告があった。
                                                          ヨハネ 岸井 啓悟


教会委員会だより     ―十二月〜二月―

1 「カトリック生活」への献金「カトリック生活二月号」から献金というかたちで有料化することを確認した。当面はミサ後 一部百円(以上)での献金をお願いすることとした。
2 第一次工事 終了報告香部屋と小聖堂の修繕工事が終了し、次のステップとして大聖堂の雨漏り修繕工事への調査・打合せを実施していく。
3 司祭人事異動の件 ご復活の主日より、当教会の助任司祭として、小坂正一郎神父、現助任司祭グロゴウスキーパウロ神父はサレジオ幼稚園長、現幼稚園長リチャードスミス神父は、管区長秘書(四谷)として異動される。
4 四旬節の教会としての目標当教会の四旬節の目標として、教会から離れて来られない信者の方に声をかけてこの四旬節に教会にお呼びしていくことを積極的に行うことにした。
                                                  広報委員 ヨハネ 岸井 啓悟

ミサ朗読を軽んじないで!

 2月12日、田園調布教会にて、ミサ朗読奉仕講習会が行われ、当教会からも7名が参加させて頂きました。
 ミサにとって大切な神のみことばなのですから、事前に準備しておくことはもちろんのことです。はじめに何回も黙読して、すんなりと意味を把握できるようになってから初めて声に出して、苦手な箇所に気をつけて読んでみましょう。また、日頃から滑舌、発声練習等も、一音毎に耳で確かめながら訓練しておくこともとても重要なことです。
 後半には聖堂で、マイクの位置や方向、口の近づけ具合等による聞こえ方の違いの実演もあり、日頃、親しい人にマイクとの関係をチェックしてもらうと良いようです。さらに会衆の人数に合わせた音響調整も心がけたいものです。
 講師の鈴木和子先生、お世話役の田園調布教会の方々に感謝いたします。

                                                  広報委員 ヨハネ 岸井 啓悟

「コーヒーコーナーについて」
                                     福祉小委員会       ラファエラ・マリア 山縣久美子 
 皆様ご存じのコーヒーコーナーは、先輩方によって一九九四年から二〇〇六年まで約十年間フィリピンの医学生に奨学金を支給するための活動がなされて参りました。皆様のご協力のおかげで、八名の学生を卒業させ社会に送り出すことができました。その間学生達から感謝の手紙がたくさん届いておりますが、スペースの関係でご紹介できない事を残念に思います。
 日頃の教会の福祉活動は、ミニバザー、コンサートなどの献金を私達の信頼できるグループに送金するという間接的な奉仕をしています。私達の回りにはあまりに多くの悲しむべき出来事があります。その解決のためには、祈りと知恵と莫大なお金が必要になります。その大きな課題の前に私達の働きは、まるで砂漠に落ちた一滴の水のようにむなしく感じる事があります。そして献金を集める事が福祉活動であるかのような勘違いをしてしまいます。この様な状況の中で、私達が飲んだり食べたりした売り上げが、医学生を援助し、その学生が将来多くの病人やけが人を癒してくれるはずという具体的な活動は、大変嬉しいものでした。十年を経過し一応当初の目標を達成いたしました。
 この活動を始められた先輩方のご尽力と皆様のご協力に感謝致します。
 今年の四月からはコーヒーコーナーの売り上げは、福祉全般、特にサレジオ会の各施設への援助のために使わせていただきます。ひきつづき皆様のご協力をお願いいたします。尚、コーヒーコーナーのケーキ作り、お手伝いを募集しております。お手伝いいただける方は福祉までご連絡下さい。四月からは第一日曜日にチマッティ室にて集まりをしております。よろしくお願いいたします。

 

大聖堂の耐震診断等の調査報告について           教会委員会

 当教会の御聖堂は一九五四年に竣工以来五二年を経過し、長い年月の経過による老朽化も懸念されますので、テイクワン建設に耐震診断も含めて一カ月にわたる調査を依頼いたしました。三月六日にその調査報告がありましたので、お知らせいたします。
(一) 構造体について
 設計資料がないため「RCレーダ探査」「X線探査」等の機器を使用して調査を行い、柱壁の内部がどうなっているか、厚みは、鉄筋の形状は、等確認いたしました。その結果、基礎は松くいと確認いたしました。柱に関しましてはコンクリートの中に鉄骨の柱が入っています。中二階部分と鐘楼部分には鉄筋も配置されております。壁には縦横約一五センチ間隔に九ミリの鉄筋が配筋されております。壁からは試験体を抜きとり、「圧縮試験」「中性化試験」を行いました。コンクリートの強度に関しては全体的に問題ありません。
(二) 祭壇前天井からの照明
 X線検査を行い、かつ二百キログラムの荷重をかけて試験を行いました。安全上の問題はないと思われます。
(三) 大屋根について
 竣工当時の銅板葺でありますので、五十年以上にわたる太陽熱、風雨等の自然現象により伸縮・膨張を繰り返し、銅板のねじれ、割れ等が見受けられます。以前から漏水がありましたので、現在の下地の状況を把握するため一部剥がし確認をいたしました。その結果、屋根を支える柱の腐食はありませんが、天井裏に漏水の跡が多数見受けられました。
(四) 外壁について
 クラック(ひび割れ)も0・二ミリ以下が殆どで特に問題はないと思われます。浮きに関しては全体の十%ぐらいですが、外壁塗り替えの場合にはピン打ちにて固定することが望まれます。
(五) 鐘楼について
 「中性化試験」の結果、鐘楼の壁は一部中性化が進んでいるように見受けられます。

 以上がテイクワン建設からの調査報告の要約であります。
 基礎に使われた松くいの長さ、本数等が判明しておりませんが、丸ビルは一三・五〜一五メートルの松くいを五,四四三本使用していたとのことです。御聖堂も五十年以上前の工法ですから相応の長さ、本数を使用していると推測されます。柱・壁については、コンクリートの強度、上に乗っている屋根の軽量さを考えれば、構造体の耐震面の安全性は確保されていると思います。
 屋根については、度々の漏水により壁画を汚損している状況もあり、漏水がコンクリートの強度を劣化させることにも繋がる恐れもありますので、早急に修理を行う必要があると判断されます。
 外壁の塗装については、創立五十周年の際に塗装を実施しておりますので、問題はありません。ただし屋根修理の際に足場を組みますので、一緒にやれば足場費用三百万円が節約になります。鐘楼については、壁の一部中性化が進んでいるとの指摘もありますので一部補強が必要かと思われます。
 以上の点を踏まえて、屋根の修理のみに留めるのか色々なケースに応じた見積もりを提出して貰うようテイクワン建設に依頼しております。提出された見積もりを検討の上、信徒総会でご報告申し上げたいと考えております。



 

  




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