FONS(フォンス)はカトリック碑文谷教会の広報誌です。教会聖堂にて配布しております。





VOL.85  2006.12.24



85号の主な記事
・我々の一人になった神様           主任司祭   アキレ・ロロピアナ神父

ひとすじの希望を 〜堅信を受けて〜

ペトロ三島神父様、ヴィンセント・グエン・マン神父様

司祭叙階おめでとうございます

・世田谷南協力体だより
みちくのく巡礼                                             
・教会委員会だより     〜10〜11月〜
マッサ神父様金祝のお祝い
ユース・フェスティバル
主の御降誕 おめでとうございます。     ミカエル・ラップ 神父


我々の一人になった神様               主任司祭   アキレ・ロロピアナ神父

 

11月の終わりに、韓国のデージョン市にあるサレジオ会の修練院で、研修の有意義な一週間を過ごさせていただきました。滞在の3日目だったでしょうか、一人の修道士が私に日本語で書かれた手紙を見せながら“訳してくれませんか”と頼んできました。85歳の日本人の修道女からの手紙で、歴史や国際関係問題についてもふれている手紙でしたが、最後に、次のような言葉が書いてありました。「確かに過去には悲しいこともありましたので、日韓関係はまだ難しいでしょうが、私たちのように、仲良くすれば、どんな問題でも解決できると思います。神様が我々の一人になったのは、我々と仲良くするためではないでしょうか。Merry Christmas

その後、この言葉をかみしめながら、自分なりにいろいろと考えることができました。これはクリスマスの本当の意味ではないでしょうか。神様は、旧約時代、選ばれたイスラエルの民族にご自分を表すことによって、人間と仲良くしようとされましたが、やはりその働きかけが足りないと思われたのでしょう。それで、人間ともっと仲良くするために、我々の一人となられました。これこそクリスマスの意味ですので、キリストの模範に従って、互いにもっともっと仲良くすることは我々に課せられた重要な課題ではないでしょうか。

ところが、現代世界の状況を見てみますと、仲良くする人がたくさんいる一方で、憎しみ、暴力、テロ、犯罪、虐待、貧困、不正などのために、大変な苦しみを体験している人も多く、隣人と仲良くすることは困難です。神様は、この人たちのためにこそ我々の一人になったのです。この人たちこそ神様と仲良くする恵みが必要です。

みなさん、今年もキリストの降誕祭、クリスマスを迎えることになりました。おめでとうございます。我々の一人となったキリストと仲良くし、家庭、職場などの生活の場においても隣人と今まで以上に仲良くすることができれば、この上もないクリスマスプレゼントを私たちも頂きながら、隣人にもまたこのすばらしいプレゼントをさしあげることができるに違いないと思います。




ひとすじの希望を  〜堅信を受けて〜            
      ヨゼフ ヨハネ・ボスコ  島守 哲哉         マリアセシリア  島守 邦子 

 去る10月29日、上野毛教会において世田谷南宣教協力体の合同堅信式があり、碑文谷教会からは私たち夫婦を含め25名の方が堅信を受けました。

堅信へのお誘いを頂いたときは、信仰に入ってまだ日が浅いため準備不足ではと躊躇しましたが、「神様に救いを求める気持ちが強ければそれで十分ですよ」という温かい助言もあって堅信を受けることとしました。

堅信式の1週間前に、息子の1年祭の追悼ミサを執り行って頂いたことも理由のひとつでした。サレジオ学院に通っていたひとり息子は、昨年10月、16歳の誕生日の前日に交通事故で神に召されました。

堅信式のミサの福音朗読は、バルティマイという盲人の物乞いのお話でした。バルティマイはイエス様に向って、「私を憐れんで下さい」と無我夢中で叫び、「先生、目が見えるようになりたいのです」と一片の迷いもなく全てを委ねました。彼はその純粋な信仰の故に救いを得ることができました。

帰天した息子を追うように洗礼を受けた私たちにとって、碑文谷教会は神様のもとにいる愛しい息子との距離を縮め、私たちの深い悲しみと絶望を癒して下さる触媒のような場です。私たち夫婦も、イエス様の前に身を投げ出す盲人の心が理解できるような気がしました。

知人から、こんな悲惨な運命に遭いながらなぜ神様を信じることができるのか、と不思議がられることがあります。しかし、人間の力ではどうにもならないことに直面し、息子が神様のもとで平安を得ていることを信じる私たちにとって、神様のご意思には決して理解が及ばなくとも、それを信じ救いを求めることは必然だと思えるのです。

最近、ある映画を観ました。田舎で暮らすプロテスタントの牧師は交通事故で妻を亡くします。彼はその運命を呪い、信仰を捨ててしまいます。しかしその後、自分と子供たちが絶体絶命の危機に陥ったとき、初めてそれまで理解できなかった、妻が亡くなる瞬間に口にした言葉に気付き、家族は命を救われるのです。主人公は、改めて神様の深遠なご計画を理解し信仰に戻っていくという映画でした。荒唐無稽な面もある映画でしたがとても感動しました。

私たち夫婦は、このような運命に遭ったことがきっかけでキリスト者としての道を歩むことになり、同じ信者の方々や教会関係の方々とも知り合うことができました。今は、これも神様のお計らいなのだと思うことができます。夫婦でよく話すのですが、イエス様はこの世で苦しむ人ほど天国で救いが得られるとおっしゃられます。今回の堅信が私たちに希望と救いを与えて下さるものと信じて、これから信仰を深めていきたいと考えています。どうか宜しくお願い致します。

皆様の上に、聖霊の豊かなお恵みがありますように。

 



ペトロ三島神父様、ヴィンセント・グエン・マン神父様

司祭叙階おめでとうございます

 

1022日(日)澄みわたる青空のもと、三島神父様・マン神父様司式による主日のミサがあげられました。お二人の碑文谷教会での初ミサに日曜学校、中高生会、青年会も喜びの内に参加致しました。三島神父様(写真左)からメッセージを頂きましたのでご紹介いたします。

司祭叙階、初ミサにあたって               サレジオ会司祭 三島 心

 碑文谷教会の皆様、このたびは司祭叙階にあたってたくさんのお祈りをささげてくださり、本当にありがとうございました。また先日の初ミサでも多くの方に来ていただいて共に祈りをささげてくださったこと、心から感謝いたします。神学生のときにたった1年間だけお世話になっただけにも関わらず、碑文谷教会に行くといつも温かく歓迎していただき、本当にうれしく思います。

 司祭叙階から一ヶ月以上がたち、どうやらミサをきちんと執り行うことには慣れてきたようです。しかしある意味でミサをささげることに慣れっこになってしまってはいけないと思っています。私たちがささげるミサはイエス・キリストが1回限り成し遂げたあの「ミサ」につながっていなければならないからです。キリストが行ったあの出来事を司祭としてミサの中で再現する、こんなとてつもなく大きな役割が自分に与えられたということが正直未だに信じがたいですが、こんな弱い自分を承知の上で選び、この道に呼んでくださったイエスご自身の力、助けに信頼し、自分ではなく神様がなさるこの不思議な業に自らをゆだね、これから一生ささげ続けていく1回1回のミサを大切にしていきたいと思っています。

ミサには慣れましたが「神父さま」と呼ばれるのに慣れるのは難しいです…。とくに今まで関わり、お世話になった方々からそう呼ばれると何か距離を感じてしまいます。「お願いだから今までどおり呼んでください」と思ってしまいます。その点一緒に活動していた碑文谷の若者たちは司祭となった今でも「みっしー」「みしまー」と今までどおり親しみを込めて(ただ単に自分が司祭になったことを認めてないだけかも・・・!?)呼んでくれるので、彼らと一緒にいると楽しいし、ホッとします。これからも碑文谷教会では今までどおりの「みっしー」でいたいと思っています。サレジオ会の創立者ドン・ボスコに倣って、若者を愛し、いつも共にいる、そんな司祭でありたいと思います。これからも皆様のお祈りと励まし、そしてご指導をよろしくお願いいたします。





世田谷南協力体だより

 

合同堅信式(10月29日)                                                         

受堅者は、上野毛17名、田園調布12名、碑文谷25名の計五四名で、上野毛教会の聖堂スペースの制約いっぱいの人数でした。合同堅信式は岡田大司教による荘厳なミサでした。

志願者一人ひとりに香油が塗られミサに与った全信徒が高らかに信仰宣言を行った。最後に受堅者たちは祭壇上に集合し、記念写真撮影に臨んだ。来年の合同堅信式は、田園調布教会ですが、岡田大司教に10月の日程を提案し、確認して決定していく。

東京カテドラル大改修工事  献金について

来年から工事に着手する東京カテドラル教会・屋根大改修工事費は、約8億円で(その内)3億円の献金依頼がある。東京教区の信者1人(平均)1万円という試算も示されている。献金自体には、教区の帰属意識を培う意味で協力していく。しかし、その献金の呼びかけ方(方式)をどうするのか?教会でとりまとめて行うのか等、今後具体的に検討し、決定していく必要がある。この大改修工事は、来年9月には完成する予定。

今後は東京教区宣教司牧評議会において、この件について詳細の内容・今後の進め方について議論・確認していく。

その他

岡田大司教からロロピアナ神父様に「世話役司祭留任任命書」が手渡された。

                                              


教会委員会だより     ―10〜11月―

聖堂屋根の募金について

聖堂屋根修理の募金について九月末現在で730万円(270万円未達)となった。10月29日ミサ後、関根委員長がこの修理募金の報告とお礼を会衆にアナウンスすることになった。

2「カトリック生活」の件

主任司祭より今年1月より毎日曜献金していただいている「カトリック生活」を無料にしたいと提案がなされた。その理由として日曜ミサ後以外は献金箱がなく、事実無料。司祭も教会を訪れた方に(布教のため)手渡ししている。等で原点に戻って布教のため今後は無料が妥当との方向で意見が一致した。ただし委員の意見として早急に「無料化しました」とお知らせすることは見合わせ、今後は改善できることを考慮・実行していく。

諸宗教合同慰霊祭・平和祈願を振りかえって

今回(10月21日)は碑文谷教会聖歌隊が初出演し、各宗教で一致して平和祈願のお祈りをしたこの合同慰霊祭は、とても有意義で良かった。来年聖堂の使用申込みがあれば、喜んで受入れていく。

マッサ神父様の司祭叙階50周年(金祝)ミサの件

前主任司祭・マッサ神父様の金祝をお祝いして11月19日当教会でミサを司式していただき、ミサ後祝賀会を司祭館2階で行う。このパーティーは、ケータリング料理で個人会費はなしとする。

防災訓練の実施について

聖堂7ヶ所の全出入口を確認する防火訓練を行う件について、内容の詳細は来年2月の教会委員会で決める。

教会内の各部屋の予約

各部屋の使用希望の予約は、クリプタ事務室の予約表(カレンダー)に記入すること。主旨は、早い予約が優先ではなくダブル予約によるトラブルを避けるため。青年会等にもこれを伝達していく。


                                     広報委員  ヨハネ 岸井 啓悟



みちのく巡礼 
マリア・テレジア 石川妙子(文) フランシスカ 穴沢多喜子(俳句)
   

初めての東北巡礼は紅葉には少し早い10月。「注文通りのお天気」とロロピアナ神父様の言葉どおり快晴に恵まれて一行12名は羽田を出発。
 弘前・水沢・大籠・米沢・石巻・仙台と殉教の地を訪れ、各地の教会で土地の方々のお話を聴き、またオルガンを弾いて頂いてミサに与り、温かい時を過ごさせて頂きましたことを碑文谷の皆様に報告し各地の方々に感謝申し上げます。

  殉教の母に抱かれ草の露

 厳寒の地での切支丹迫害は西方に比べて情報量が少ないので各地を訪れて初めてその厳しさ悲惨さを胸に突き刺されたように感じました。

また、何故そこまで頑強に、命まで捨てて信仰を守ることができたのでしょうか、守る必要があったのでしょうか、私なら?と、一人問答を繰り返しては果てしなく結論の出ない問題だと思っています。

 迫害の母子に及びて(すさ)まじや

 切り捨て場今も残りて草紅葉

かつて信徒が3万人いたという大籠地区は(現・戸数200位)今は何事もなく静かな川面が何日も真っ赤な血の川になったという殉教の地。川端の切り捨て場には十字に架けられる者、後ろ手に縛られて斬首される者が数日間に300人に及んだという。その凄惨な光景はキリシタン資料館の展示を見ただけで背筋が凍る思いでした。

 秋天にカリオン響く祈りかな

 小高い丘の中腹にあるキリシタン資料館から305段登りきった山頂に布教と殉教を語り継ぐため建てられた「大籠殉教クルス館」がある。船越保武氏の指導によって設計されたという「十字架上のイエス・キリスト」の像に誘われて螺旋階段を登り打ち鳴らした鐘は澄んだ秋空に響き、眼下に広がる厳しく哀しい地を優しく包んでいくように思えた。

  みちのくの山並みやさし花芒(はなすすき)

 未開の荒地水沢では水門を築き、長い堰を引き、豊かな米の産地へと導いた「後藤寿庵」もその完成を見ることなく一族と共に殉教している。しかし、「寿庵堰」といわれて今もその功績は讃えられ、語り伝えられている。

  刑場の荒地久しく小鳥来る

 仙台の廣瀬川では、雪降る中での水責めの刑で多くの先祖が殉教、屯するホームレスの不思議そうな目に見つめられながら記念塔の前で暫しの祈りと黙祷を捧げ、巡礼の旅は終わりました。

  聖母子像コスモス揺るる旅愁かな


マッサ神父様金祝のお祝い

 1991年から2000年にかけて、助任司祭そして主任司祭として当教会で司牧されたバウチスタ・マッサ神父様の金祝のお祝いが、11月19日に碑文谷教会にて行われました。10時のミサを司式された神父様。私たちにとっての死は、希望と喜びそのものであると明るく力づけて頂いた神父様の姿を、ちゃっかり侍者に紛れて後ろから眺めていた私は、ふと15年前のことを思い出しました。そのころ、高校の夏休みの宿題として教会に行ってレポートを書くことが課されていた私は、プロテスタントの高校だったのにも関わらず、近所の目立つ教会というだけで碑文谷教会の門を叩きました。その時に対応して頂いた神父様が、まだ赴任されたばかりのマッサ神父様でした。この宿題をきっかけに、それまで全く教会と縁の無かった私が、マッサ神父様の所へ出向いて、毎週、個人指導を受けることになったのです。要理や聖書、霊的指導に至るまで、2年以上にわたりほぼマンツーマンで指導して頂いたお陰で、ついに洗礼へ導かれたのです。本当にマッサ神父様は私にとっての恩師そのものです。
 さて、きっと多くの方が同じようにたくさんの想い出があるのでしょう。ミサの後に司祭館2階で開かれた祝賀会は満員の大盛況。神父様の前には行列が絶えず、まるで有名人のサイン会のようでした。どんな時も前向きに、人々を神様へ導く神父様。これからもますますの御活躍を心からお祈りいたします!
         

パウロ 平田 幸彦





ユース・フェスティバル        中高生会リーダー 大川千寿

115日、青空の下、調布サレジオ神学院(調布教会)で毎年恒例のユース・フェスティバルが行われました。今年のテーマは、サレジオ会の今年の大きなテーマである「家庭」にちなんで、「みんなおいでよ!神さまのおうち」。サレジオ6教会をはじめとする教会や施設から子どもをはじめ多くの人たちが集まりました。
 フェスティバルはまず、ドン・ボスコホールでのプッポ・サレジオ会管区長様司式のミサで始まりました。福音朗読では三島新司祭作の聖劇が取り入れられ、子どもたちは興味深そうに見ていました。それから外に出てお母さん方が心をこめて作ってくださった昼食を皆でいただいたあと、子どもたちはグラウンドで小グループに分かれてチーム対抗のアトラクションに参加し、いろいろなゲームを楽しみました。そして、ホールで神父・神学生・志願生・青年の有志が出演する家族の大切さを描いた劇を鑑賞し、最後に、アトラクションの表彰式が行われて終了しました。
 碑文谷教会からもパウロ神父様をはじめ小中高生や青年、保護者などたくさんのメンバーが参加しました。神父様や神学生の助けを得ながら企画段階から各教会の青年が関わり、我々碑文谷の青年は典礼などを担当しましたが、無事に終えることができてほっとしています。子どもたちも楽しんでくれたようで、テーマのように家庭的で、また青少年を大切にするサレジオらしいユース・フェスティバルになりました。

 




主の御降誕 おめでとうございます。

ミカエル・ラップ 神父

私のソロモンでの体験を皆様にお伝えしたいと思います。

生まれたことでおめでたい。イエス様がお生まれになったことで私たちはお互いに「おめでとう」とお祝いの言葉を交わします。私たちにとって「おめでたい」ことだからですね。皆さんに「お誕生日おめでとう」とお祝いの言葉を贈りたいと思います。皆さんが生まれたことは、私にとって、人類にとって、神様にとって、「おめでたい」からです。自分と他者の誕生をお互いに「おめでたい」と受け取ることは何と美しいことでしょう。

テテレ小教区の信者数は約2000人です。信徒たちを訪問し、秘跡を授けるためには山々と川を乗り越さなければなりません。車が入れない深林と高山には両足を、険しい場所には両手をも使わなければなりません。日帰りが出来ない村や山もあります。深林や山脈で生活している人々は移動が出来ないので、自分の家で家族に見守られながら生まれます。赤ちゃんの泣き声が村全体に響き渡ると村人はその喜びを共にします。彼らにとって新しい命は村の命であり、部族の存続の象徴だからです。

ケイコが生まれた。

ある日、時計が午後1時6分を指した時、中年の男性が司祭館を訪れました。「子どもがクリニック()で生まれ、教会のホールで横たわっています。神父様!妻と子どもを家まで送って頂けませんか。」私は自分の予定を変更して送ることにしました。車(**)に乗り込むと、父親は私に「神父様!この子に名前をつけてください。」と頼みました。私の隣にマコトという日本人の青年がいたので、「マコトにしましょう。」と言うと、喜んでくれました。しかし、後に女の子だと分かり、「ケイコ」と名付けると、ご両親は「ケイコ!あなたの名前はケイコですよ。」と赤ちゃんに向かって優しく語りました。「ケイコとは恵み!神様からの恵みです。」と説明すると、ご両親は満足顔で「神父様!ありがとう。この子の誕生は恵みによるものです。」と言ってくれました。私は家路に着く3人の後ろ姿を見ながら神様に話しました。「神様!おめでとうございます。あなたの計画通りですね。」

○キリストによって誕生された皆様におめでとう。

 先月、Nanalaという山の頂上で生活する信徒たちを訪問しました。学校もない!何もない高山の村です。出産届けもしないのです。ここでミサを捧げ、洗礼式を執り行い、初聖体の恵みを授けました。この日の受洗者は47名、初聖体は17名でしたが、7年ぶりに司祭が訪問したので、村人たちはミサの応えを忘れ、聖書朗読を出来る者もいませんでした。さらに困ったことには、洗礼を施した司祭は洗礼台帳に記入し、教区に届ける義務がありますが、受洗者たちは自分の生年月日を知りませんでした。そこで、背の高い順に並んでもらい、ひとり一人に誕生日を決め、暗記するようにと言いました。彼らは自分の誕生日を知りませんでしたが、今キリストによって新たに誕生されました。キリストによって誕生された者はMade by ChristMade in Heavenです。キリストによって誕生された皆さん!おめでとうございます。

(*)テテレ教会の隣に小さいクリニックがあります。出産を助けてくれるが、宿泊施設が無いため、出産後にクリニックを出なければなりません。

(**)信徒たちには車を所有する人がいません。ですから、私たちの車は霊柩車、救急車、移動の手段として人々を奉仕します。  







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