FONS(フォンス)はカトリック碑文谷教会の広報誌です。教会聖堂にて配布しております。





Happy Easter VOL.91  2008.3.23
信じない者ではなく、信じる者になりなさい(ヨハネ20-27)




91号の主な記事
 復活を信じ、信仰の証しに生きる              主任司祭 アロイジオ  小坂 正一郎 神父
神との出会い  その@  
神との出会い  そのA        
・ジョバンニ・バッティスタ・シドッティ師 
  −来日3百年を記念して−             
アンナ・マリア 松原 久美子
・ペトロ岐部と187殉教者の列福式に向けて                           パウロ 平田 幸彦
・粟本昭夫神父による「結婚講座」に参加して                       エステル・マリア 成田 弘子
・世田谷南宣教協力体だより                  ヨハネ 岸井 啓悟
・ 教会委員会だより 12〜2月               ヨハネ 岸井 啓悟

―復活を信じ、信仰の証しに生きる―       主任司祭 アロイジオ  小坂正一郎神父


 わたしが洗礼を受けた頃は、いくらか形式的でしたが、一応受洗前に神父様から教義理解についてテストが行われる慣わしでした。受洗日であるクリスマスの一週間ぐらい前の試験で、もちろん良い成績は期待されていませんでしたが、「キリストが神であるということは、どうしてわかりますか」という質問には誰も明確な回答はできませんでした。「十字架のご死去の後、復活されたのですよ」と力説された神父様の姿は今もって忘れることはできませんし、復活祭を迎える時いつも懐かしく思い出すシーンです。当時は、今頃よく聞くような「過越しの神秘」という言葉は知られていなかった頃でした。キリストの復活を信じて生きること、ここにキリスト者が他の人と異なる生き方や存在の理由があります。
 

 シドッティ師は、キリストの復活を信じ、その証しの喜びを自分のうちにとどめるだけでなく、日本の人々にもたらそうと祖国を離れ、長年かけて多くの苦難を乗り越えて、鎖国の日本に渡来しましたが、即座に捕らえられ、キリシタン屋敷に幽閉されてしまいました。日本では一度も公に宣教活動を行うことなく、そのいのちを神に捧げたのでした。その日々は復活されたキリストに向かっての日々であり、自分の願う宣教活動ではなく、神のみ旨にすべてを委ねる生き方そのものでした。神父様が携えた「悲しみの聖母」画像も没収され、手元に置くこともできませんでしたが、常に心に浮かべておられたことでしょう。シドッティ師渡来、悲しみの聖母(江戸のサンタマリア)の聖画の来日300年の記念の年を迎えています。

 とかく宣教の効果の方に目がいきがちですが、この記念の年に、わたしにとってキリストの復活の信仰を生き、信仰の証しはどのようなことかを考察し、それを日常生活に活かしていく努力が求められます。



神との出会い その@     神のご計画」    マリア 北岡真紀

私は平成19年12月25日、碑文谷教会にて洗礼のお恵みにあずかることができました。夫と子供三人も一緒で、ありがたいことに家族全員が同時に洗礼のお恵みにあずかることができました。これも小坂神父様はじめ教会の神父様方、シスター、幼稚園の先生方、代父代母、その他教会関係者の方々のおかげと、今にして思えば、それまで教会に縁のなかった私がまるで見えない手に引かれて歩んできたかのような、不思議な思いもかけない洗礼までの道のりでした。長女がサレジオ幼稚園に通うことになったこと、夫がごミサに出かけるようになったこと、私が本を読みシスターのお話を聞くようになったこと、長女がお祈りするようになり二女もそれにならってお祈りをするようになったこと、娘二人がカトリックの学校に通うことになったこと。そのどれもが強い意思をもってした努力の結果ではなく、いつのまにかそうなっていたとしか言えないのです。
 気がつけばそうなっていた― 洗礼式のあったごミサでチプリアーニ神父様がこう仰いました。我々人間はもっと神のご計画に身をゆだね、神のみ旨のままに生きていこうではないか、と。我が家について言えば、これまでの道のりがまさに神のご計画のとおりだったのではないかと、そのとき気づいたのでした。
 私はいま神の道を歩み始めたばかりです。これからも神に導かれるままみ旨のままに信仰の道を歩んでいけたらと思います。




神との出会い そのA         「四十二歳の幼児洗礼」     ヨゼフ 久野 和博
 私はいつどのようにして神と出会ったのだろうか。私とキリスト教との関わりは17年前の米国での妻との出会いに遡る。
 私の両親は善良で愛情深かったが、カトリック信仰とは無縁だったし、宗教とは無関係の学校に通ったので、キリスト教との縁はなかった。人並みの苦労や挫折も味わったが、宗教と自分を関わらせるきっかけにはならなかった。そんな私が信者だった妻と知り合い、一緒にいたいばかりにミサについて行った。その後も転勤先のモスクワで、帰国後は結婚式を挙げたイグナチオ教会で、また子供が幼稚園に通い始めてからはサレジオ教会で、私は家族とミサに通い続けている。三男一女に恵まれ、幼稚園がご縁でまず息子3人が揃って受洗した。私はというと、「何故洗礼を受けないのか」と尋ねられたり、誤解した方から代父を頼まれたりしつつも、洗礼を受けないままに時間が過ぎていった。だが、ふと静かに振り返ってみると、自分に信仰心があることはいつの間にか自分自身否定できなくなっていた。
 家族生活の中心には神様があったし、職場での難しい局面では神に祈る自分があった。この度、チプリアーニ神父様の勉強会に参加し、長女とともに昨年末のクリスマスに受洗したが、心の中の葛藤もなくごく自然の成り行きで洗礼に至った。馬から落ちたパウロにとってそうであったような強い光ではなく、柔らかい光に包まれながら。「42歳の幼児洗礼ね」、そう妻は言った。



ジョバンニ・バッティスタ・シドッティ師 ―来日三百年を記念して− アンナ・マリア 松原 久美子

 シドッティ師は、1668年シチリアのパレルモに生まれ、ローマで司祭に叙階されたのち、ローマ教区の秘書の任務に就いた。かれには輝かしい未来への道が開かれていたが、宣教師として日本に行くという召命の道を強く望んでいた。当時の日本は、鎖国政策をとり、宣教師には厳しい処刑で対処していた。その状況を周知の上で、生き残ったキリシタンがいるならば、何としても彼らを助けたいと強く望んだのである。 2年近くをかけてやっとマニラに到着したが、日本に渡る船はなく、やむなくマニラで病人の世話をし、教理を説き、秘跡を授けるなどの宣教活動をしながら時の来るのを待っていた。そのすぐれた徳のため人々から聖人と慕われ、その活動を伝え聞いた教皇クレメンス二世は、そのままマニラに留まってすばらしい活動を続行するように書簡を送られた。しかし、それが手元に届く前にすでに彼は日本に向けて出発していた。シドッティ師の揺るがない決心を知ったスペイン人達は、小さな帆船を造るために必要な金額を調達し、マニラの総督は彼のために自費で船に必要な人員や物品を全て整え、仲間の一人は船長の仕事を引き受けてくれた。   
 1708年8月25日、聖トリニテ号で日本へ出発した。そして、ついに念願かなって十月十八日に彼は屋久島に辿り着いたのである。
 屋久島に揚がったシドッティ師は、直ちに捕縛され、長崎奉行の取調べに対しても言葉が通ぜず、理解されないままに終わった。それを聞いた幕府は江戸に連行するように命じ、狭い籠による長旅を強いられた。到着した頃には膝が萎縮し、やっと立って歩けるという状態になっていた。
 江戸ではキリシタン屋敷に拘禁された。そこはかつて幾人もの宣教師や修道士が命を捧げた場所である。六代将軍家宣の特命により、新井白石が取り調べに当たった。新井白石はこの異例の囚人(シドッティ師)が誠実ですぐれた人物であることを肌で感じ、深く尊敬した。白石の進言した「釈放」も「国外追放」も受け入れられずそのままキリシタン屋敷にとどめ置かれることになった。
 しかし、4年後の1714年、彼の身辺の世話をしていた老夫婦、長助とハルに洗礼を授けたことが発覚した。ご禁制の邪教をあえて伝えたかどにより、詰牢といわれる地下壕に閉じ込められる身となった。シドッティ師はまる一年間、湿っぽく暗いこの独房で過ごし、衰弱していく中で最後まで長助とハルのことを気遣いながら、1715年11月15日、神のもとに召された。47歳であった。 
 シドッティ師携来の所持品には衣類のほかに、カリクス、パテナ、ミサ典礼書、ロザリオ、二本の鞭と苦行用の布、殉教者マルチェロ・マスティリッリが首にかけていた十字架、そして、新井白石に「サンタ・マリア」と語った小さな金属板油彩額があった。これはカルロ・ドルチの作と伝えられ「悲しみの聖母」(親指のサンタマリア)と呼ばれるものである。1874年に東京国立博物館に収められ、現在に至っている。
 戦後、目黒区碑文谷に子供のための事業を始めたサレジオ会は、1952年大きな教会の建設を始めた。時を同じくして上野の博物館に保管されている「悲しみの聖母」聖画がシドッティ師の所持品であると証され、この縁で「江戸のサンタマリア」に捧げられた聖堂として1954年5月荘厳に献堂された。特筆すべきことは、献堂式の時からその年の9月15日の悲しみの聖母祝日まで、この貴重な遺物を借り受け公開されたことである。
 複製品ではあるが、聖堂入り口に掲げられた聖母画を仰ぎ見ながら、300年前のシドッティ師の心意気を思いたい。



ペトロ岐部と187殉教者の列福式に向けて

パウロ 平田 幸彦

 2008年11月24日、長崎にてペトロ岐部と187殉教者の列福式が盛大に行なわれる予定です。これまでにも長崎の26殉教者等の比較的司祭を中心とした列聖が行なわれてきましたが、信徒を中心とした殉教者の列聖を求める熱意と祈りが日増しに高まり、昨年の6月に教皇様によって列福が承認されたものです。一般的には、列福運動は非常に長い期間がかかるもので、100年以上待たされることも珍しくありません。そのような中、今回の列福承認は、その運動開始から承認まで異例の早さで認められました。これは、何よりも殉教者のほとんどが信徒であったことが最大の理由のようです。現代は「信徒の時代」と呼ばれて、それまで司祭や修道者を中心としがちであった考えから、信徒を中心とする教会への大転換期を迎えようとしています。今回の列福式は、まさにこのような時代の幕開けを象徴する出来事となるでしょう。彼らは、私たちと同じ普通の社会人であり、主婦であり、子どもでした。この点は、複雑な現代社会に生きる私たちにとって励みとなります。この列福式を前にして、何回かシリーズで彼らの生き方から、現代の私たちが得ることのできるメッセージを考えてみたいと思います。

小さな殉教ならできる!


 幸いに今の日本社会の中において、直接的な宗教迫害を受けて、殉教するようなことはあまり考えにくいかもしれません。とかく殉教者のことを考えるとき、その勇ましい最期に焦点が集まってしまいがちです。このことはひょっとして、普段霊的に生ぬるい生活を送りがちな私たちにとって、何か自分たちとは別世界の出来事のように感じてしまう原因になっているのではないでしょうか。では、彼らは生まれつきそんなに強い人間であったのでしょうか。私は決してそうとは思いません。今回列福された殉教者たちの人生も、実は失敗や挫折の繰り返しだったはずです。そんな私たちと同じ弱さを持った人間が、自分の命を差し出すまでに至った秘訣はただ一つだと思います。それは、どれほど自分の弱さを感じていたとしても、決してあきらめずに毎日の小さな殉教を続けてきたことにあるのではないでしょうか。殉教とは、自分自身に死ぬことであるとすれば、毎日の平凡な生活の中で果たすことのできる小さな殉教は、私たちにとってもいくらでもあることに気付きませんか?例えば、疲れている時にあえて微笑むこと、面倒で後延ばしにしている仕事をすぐにやるなど、数え始めたらきりがありませんね。このような怠惰や自分自身の弱い性格を少しずつ捨てる努力を続けること、これこそ日常生活における小さな殉教ではないでしょうか。私たちに求められているのは一発狙いの大殉教ではなく、誰にも気付かれない小さな殉教に他ならないと思います。(次号につづく)




教会委員会だより −12〜2月−      ヨハネ 岸井 啓悟

1.カテドラル献金最終報告

 当教会でよびかけた同献金は 12月16日で締切りとなる。最終献金額は 約400万円弱となる見込み。これに積立金から約100万円を充当し、当教会から500万円をカテドラル献金として送金する。

2.新年度(4月3月)のテーマ

 主任司祭が掲げた 同テーマは、「信仰の証し シドッティーに倣う」とする。来日300年に因んで、各委員会ごとにこのテーマに沿った活動内容を検討・決定し、実行していくことになった

3.聖体奉仕者の任命と養成

 今年度の聖体奉仕者を5名指名し、養成のための研修会を2月2日(土)より7回行う。そして新年度(4月)より、聖体奉仕者としてミサで奉仕していただく予定。なお、この研修会はどなたでも参加自由とする。

4.駐車許可証の発行準備 

 新年度(4月)より、教会・幼稚園敷地内に駐車する車輌に関して、駐車許可証を発行し これを駐車時 車内に置いていただくこととした。この許可申請書は、2月17日から配布し、24日からルルド前で教会委員が回収する。許可証発行は4月半ば予定。5月からは許可書なしでは、駐車が認められない。今後、色々と問題がでるだろうが、随時 検討していく。

5.その他

@ 教会屋根の修理―屋根の峰の部分に傷みが見つかり、修理日程について業者と検討中。梅雨前にしたい。工期は 約2週間の予定。
A2007年クリスマスミサの反省―配布する「クリスマスミサ」栞の作成について、今年は製本の外注等検討する必要がある。
Bカトリック調布教会聖堂建設のための寄付―当教会から寄付額を二百万円とする。
C
司祭ローテーション―他教会の神父を迎える際は、今後ミサ前に先唱者が紹介する。3年間続けてきたこの司祭ローテーションについて、今後も必要かどうかを検討すべきとの意見がだされた。 


世田谷南宣教協力体だより   ヨハネ 岸井 啓悟

1.DHKについて(大瀬神父)

 3教会の若者たちが自発的に交流し協調して活動しているのは喜ばしいことであるが、組織化されておらず責任の所在が明確でないことや危機管理が十分でない点などが憂慮される。外部からの参加者があることも考え、お泊り会等については教会間で情報交換を密にし、大人の側が実態を把握しつつ見守っていきたい。

2.聖体奉仕者の任命制度と養成について 

 聖体奉仕者は各地区共同体で養成し、主任司祭と宣教司牧委員会が教区に推挙して、司教様より任命されることになっている。任期は毎年 復活祭より1年(再任可)である。養成のための講習の具体案について意見交換した。

3.合同行事について

 4年続けてきた3教会合同納涼祭は今年は中止となった。本来の目的である教会間交流のための簡単な催しで、場所も持ち回りで・・・等、多くの意見が交わされた。




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