中尾 享 Kyou Nakao

【プロフィール】

生年月日:1974年3月3日
出身地:神奈川県 横須賀市
身長:172cm
体重:67Kg
血液型:O型
アマチュア修斗戦績:2戦1勝1敗 ※2002/10/17現在
格闘技歴:スパルタンジムでラリパパに師事し、現地プロ興行で4戦4勝。柔術は長崎の大会で優勝し、青帯を取得。
格闘スタイル:グランドパンチ
得意技:三角
好きな食べ物:納豆、ラーメン
好きな芸能人:甲本ヒロト
好きな言葉:案ずるよりうむが易し
目標:とりあえずアマ1勝
コメント:頑張ります。

「顔を見れば一目瞭然。あの三角マスターを兄に持つ、オーストラリア帰りの期待の新星」

【インタビュー】

──享は、あの受太郎の弟という事で、修斗を始めたキッカケはやっぱり兄貴の影響?

享 そうですね。修斗の事は兄貴から話は聞いてて、試合見に行った頃は、丁度ヒクソンとか来た頃でした。

──ヒクソンの印象は?

享 強かったですね。

──兄貴とはよく喧嘩とかしたの?

享 いや、喧嘩って言っても相手にならなかったので、一方的にやられるという感じ(笑)。

──兄貴とは幾つ違い?

享 3つです。

──どんな感じでやられてた?(笑)

享 プロレスごっこみたいな感じで、俺に技を掛けさせて、こっちが熱くなってくると最後にガツンとやられるという(笑)

──最初、受太郎に紹介された時、全然細くて、格闘技やるような雰囲気じゃなかった。 ロックっぽかったし。

享 ずっとバンドやってたんです。 当時はパンクバンドやってました。

──ボーカル?

享 ギターです。

──オリジナルとかやってたの?

享 15歳の時からずっとオリジナルでやってて、そのバンドは5年ぐらいやってたんですけど、結構、横須賀では人気ありました。

──プロになるまではいかなかったんだ?

享 そこまではいかなかったですね。 

──ちなみにバンド名は?(笑)

享 ・・・え、言うんですか?(苦笑)。
 「不穏分子」って名前のバンドです。

──兄貴がデビューしてどれくらい経ってから格闘技を始めたの?

享 4年ぐらい経ってからだと思います。
 最初、パレストラで柔術だけ習ってたんですけど、その後オーストラリアに英語の勉強に行ったので、そっちで真剣にやり始めました。

──いきなりオーストラリアに行っちゃうってのもすごいな。 オーストラリアでの生活は?

享 英語の学校に1年間行って、その後調理の仕事で洋風レストランで働いてました。

──何年間?

享 3年半です。その間にスパルタンジムに入って、向こうの試合に出たりしました。

──主な試合は?

享 アマチュアで2人しか出てないトーナメントで優勝して(笑)、プロの試合では4戦して4勝しました。
 向こうでやった最後の試合が、相手が強いって聞いてて、その相手にチョークで一本勝ちしたのが嬉しかったですね。
 負けたら辞めるって、そういう気持ちでやったんで。

──オーストラリアのジムとシューティングジム横浜の違いは感じる?

享 ここは皆強いな。って。プロを目指してるような選手じゃなくても皆強いので驚きました。

──ラリパパの指導はどんな?

享 指導はちゃんとしてくれましたね。ちょっと気分屋なとこあるんですけど(笑)。
 向こうは力の差がバラバラで強い人は強いけど、駄目な人は駄目って感じで。

──好きなプロ選手は?

享 マッハ選手です。強いので。

──今後の課題は?

享 スタミナをしっかりと付けて、テクニックを向上させたいです。

──ちょっと打撃に力が入りすぎてるもんね(笑)。

享 はい(笑)。 なんでですかね? 自分では(力を)抜こう抜こうと思ってるんですけど。

──やっぱそこは兄貴ゆずりだから(笑) 

享 (笑)。

──日本に戻ってきて、普段は何してる?

享 今は横浜で中華料理屋に勤めてます。
 本当は社員にならないと調理させてくれないんですけど、練習する時間なくなるので、仕方なくバイトで。

──中華料理屋か。 昔から横浜ジムは坂本さんとか桜田さんとか、受太郎も中華料理屋で働いてたんだよ。

享 あ、自分の行ってる職場で桜田さんと一緒に働いてた人がいて、驚いたんです。

──そうなんだ。 じゃぁ、最後に決意表明を。

享 やるだけやって、とりあえずプロになりたい。
 そこまではやりたいです。

〔インタビュー2002/10/17実施〕