蓼科の山小屋(Y舎)

木漏れ日(右の窓に部屋の電灯が映っています)。6月


充実した山歩きの後で。8月

手の届かない高みの山ぶどうに「あれは酸っぱいに違いない・・・」と。10月

静かな秋の日に、落ち葉を踏みながら歩く幸せ。10月

若者が経験豊かな年長者の話に耳を傾ける。11月

人が入って急に暖められた小舎の屋根から、積もっていた雪が大音響と共に滑り落ちました。3月

チョウセンゴミシ(朝鮮五味子)の実。美味しそう!10月
 40数年前、20代の女性Tさんが「自分たちの山小屋を持とう」と高校や大学時代の仲間に呼びかけ、数十名の賛同者を得て、蓼科山の中腹に出来上がったのがY舎です。1967年1月に落成式を祝ってから42年が経ちました。始めは、ランプの灯で、小川の水を利用していましたが、今では電気、LPガス、上水道も引いてあります。無いのはテレビ、電話、風呂・・・。

 私がY舎を初めて訪れたのは、学生の頃、所属していた研究室の仲間と一緒で、蓼科はまだ枯草の5月でした。その研究室にはY舎の会員が数名いたのです。落葉松林の中に、赤いトタンの片流れ屋根で2階建てのY舎はありました。外も中もシンプルで、一階は4畳半の畳の部屋に同じ広さの土間(玄関と台所を兼ねています)と、ダルマ型の薪ストーブのある9畳の板の間とトイレなど。畳の間と土間の上は梯子で上がる板の間になっています。4畳半からは、蓼科山が見えたものです(今は落葉松が大きくなって見えるのは木々の緑だけとなりました→上の写真)。

 私は10年目位に会員になりましたので、小舎が完成して間もなく病に倒れたTさんにはお会いしたことがありませんが、Tさんについてはたくさん聞いていますので、身近に感じています。場所選びや資金集め(=会員募集)の苦労を物ともせずに、小舎の完成に漕ぎ着けたのですから、勇気と決断力のある、仲間にも慕われる魅力的な女性だったようです。また、40数年を経て、いまだに健在の小舎を維持し続けている仲間たちにも恵まれたわけです。

 Y舎では、昼間の過ごし方は人それぞれで、付近の散策、ハイキングやスキー、小舎の修繕、読書など思い思いに過ごしますが、夜は決まって焚き火を囲んでの宴会となります。大いに食べては飲み、歌い、語り合って夜が更けます。雨天や寒い時はこたつや薪ストーブを囲んで・・・。“Y舎を愛する”という点だけに共通項を持つ様々な職業の人達との交流は、仕事のしがらみとも無縁で、また自分が属する狭い社会の外を垣間見る機会ともなり、実に楽しいのです。

 働き盛りの時代、子育ての時代(その頃のY舎には子供たちの元気な姿がありました)を経て、今のY舎はスローライフを楽しむリタイア世代が中心で、静かに佇んでいます。

 私が一番好きな季節は、春の花が咲き乱れ、郭公や春ゼミの大合唱に迎えられる6月と、山ぶどうが実り紅葉の美しい10月です。牧場で見たしし座流星群も忘れられない思い出です。小舎から歩いて十数分の見晴らしの良かった草原は、アヤメやヤナギランが美しかったのですが、今は、植林の落葉松が大きくなって分け入ることもできなくなりました。自然にも時の流れを感じます。

 「八ヶ岳とその周辺の花」のページに、6月の花を中心にご紹介しますので、そちらもご覧下さい。


コナシ(小梨)でしょうか? 6月