(12)ナスカの地上絵


セスナ機から見た地上絵(コンドル)。
そのままでは不鮮明なので色調補正をしました。


〜9月12日(金)リマからナスカへ〜

白い壁に青い窓枠、中庭を囲む四角い建物。部屋のベランダには紅いゼラニウムが美しい。ホテルのロビーで美しいホテルとの名残りを惜しんでいると、インカトレイルでお世話になったワシントンとジョナサンがいる。どうやら空港まで送ってくれるらしい。「ナスカへ一緒に行くのかと思った」と言ったら、またインカトレイルを歩くのだと言う。今度はカナダからのお客さんだそうだ。


中庭を囲んで食堂があり、朝食をいただいた。

大きな素焼きの壺にフクシャやゼラニウムが美しい。

リマには10時半に到着。大型バスで、ナスカへの旅だ。当初の計画ではジェット機でナスカに飛ぶ予定だったが、昨今の原油値上げのあおりで飛行機が飛ばないと言うので、7時間のバスの旅となった。それはそれでパンアメリカンハイウェイ沿いの風景を見られるので楽しみだ。と言っても延々と砂漠だったが・・・。旅立ちの前に、リマでお土産屋さんでのショッピングと、ランチを取った。ランチはいつものバイキングだったが、アンデスには2〜300種はあるというポテトの料理がおいしかった。

ナスカの旅へのガイドは若い女性が2人。一人は日系2世で、もう一人は10〜18歳の間、日本(栃木県)に8年いたというスペイン系の女性だ。2人とも日本語は流暢だ。ハイウェイ沿いの風景は太平洋と砂漠だ。日本からの南米移民はペルーが最初だそうだが、この砂漠を前にした人々は何を思っただろうか?広い海を眺めては、彼方の日本を思ったに違いない。年間雨量1mmだそうだが、地下水利用で畑が広がる。アスパラガスが有名だそうだ。

スペイン統治時代、ブドウが採れて良いワインができたそうだ。そうしたら、本国スペインからのワインが売れなくなったので、ワイン作りが禁止されたという。その結果、入植者たちはブドウから蒸留酒ピスコを作ったのだそうだ。今ではワイン作りはチリが盛んだという。私はアルコールに弱いので、ピスコは試さなかった。途中トイレ休憩をはさみ、暗くなった頃にイカのホテルで夕食。さらにバスに乗ってナスカのホテルに着いたのは夜も遅い10時頃だった。

〜9月13日(金)地上絵を見る〜

翌朝も夜明け前に起きて、朝食、出。飛行場には日の出の頃に着いた。セスナ機には5人ずつ乗る。右の席の人は右だけ見るようにと念を押された。右や左に視線を動かすと必ず酔うという。乗ってしばらくすると、機体を大きく傾ける。それだけで酔いそうになるので、言いつけ通り左だけ見る。見えた、見えた。すでに写真でお馴染みのハチドリやサル、宇宙人などの絵、どこまでも伸びる直線。ナスカは石が地面を覆っている砂漠で、数cmの厚さの石の層を除けると土の地面が現れる。地上絵は表層の石を取り除く方法で描いたという。地上絵はもちろんすごいが、雨期にできた水が流れた跡も面白い。広大な土地に京都の石庭の模様にもなるのではと思うような蛇行跡が土地を覆い尽くす。

あたり前のようにセスナ機から見物したが、この日は気象条件が良く、大変良く見えたのだそうだ。3回目というツァーリ−ダーが感激していた。セスナ機の発着場はなぜか、殆どが日本人旅行客だった。他の観光地から遠いので、敬遠されているのだろうとのこと。確かに、30分のフライトともっと短時間で終ってしまうライヘ女史(一生を地上絵の研究に捧げた女性)が私財を投じて作った展望台からの見物だけにリマから6-7時間もバスに乗って来る人は物好きかも。地上絵に気づかずに、絵を横切ってハイウェイを作ってしまったなんて時代ではなく、一帯は立ち入り禁止で、自由に歩く事もできないのだ。映画の一場面のように、青い空の下、砂漠の中の1本道をトラックが現れては消えてゆく。


セスナ機から見た地上絵(くも)。

展望台から見た地上絵(手)。わかりますか?

雨期に水が流れた跡。

山の斜面の地上絵(宇宙人)。

ライヘ女史が建てた展望台。

展望台の建っているところ。パンアメリカンハイウェイ。

ホテルに戻って、青いプールとヤシ、赤い腹を見せる小鳥を眺めながらビーフシチューの昼食をとって帰路に着いた。2回目のトイレ休憩はお土産屋さんで、インカの村の風景を刺繍したクッションヌードを2枚買った。すでに購入済みのタペストリーやテーブルクロスもあるし、インカ一色の部屋ができそうだ。


ホテルの中庭。

ヤシの葉影に小鳥が2羽。

拡大して見る。オスとメスだろうか?

すっかり暗くなってからリマに着いた。夕食は高級レストランでパエリヤ風の夕食だった、隣の部屋では日系人カップルの結婚披露宴が行われていた。日付が変わった頃のフライトでアトランタに向かい、充実したペルー滞在丸8日間の旅は終った。