(8)インカトレイル4日目


ウィニャイワイナ遺跡

9月10日(水)


ポーターさん達とはここでお別れ。

トレッキング最後の日なので、先に行ってアグアスカリエンテスで荷を下ろすポーターたちに別れを告げる。彼らの歌とダンスが披露され、我々のメンバーも誘われて一緒に踊った。私たちも「幸せなら手を叩こう」を歌い、動作を一緒にと誘った。「トゥ パナンティスカーマ!」と別れを惜しんだ。ケチュア語の別れの挨拶で、またね!という意味だそうだ。


〜プユパタマルカ遺跡〜

キャンプ地から急坂を下るとすぐにプユパタマルカ遺跡だ。段々畑と神殿がある。またまたワシントン氏のレクチャーだ。ワイナピチュ山―マチュピチュの太陽の石―ここプユパタマルカ遺跡の神殿―遥かなサルカンタイ山が北から南へ一直線に結ばれるそうだ。なぜこんな高地に住んだか?2つの理由があるそうだ。一つは、低地は熱帯のため黄熱病、マラリア、リューシュマニアなどの感染症が多いので、それを逃れた。コカ等の作物は高地の方が品質の良いのが穫れる。太陽の恵みを受けた階段状の畑は良い作物が収穫されたそうだ。成る程ね。


朝、谷間から霧がわき上がります。多分、晴れる
でしょう。右手前のアーチは竹(前ページ参照)。

プユパタマルカ遺跡。キャンプ地から急な坂道を
下ってすぐのところにあります。

インカ遺跡の水道はどこでもこんな
感じです。


「この遺跡はサルカンタイ山とマチュ
ピチュを結ぶ線上にあり・・・」と絵
を描いてガイドは説明します。

Bidens andicolaトレイル中とき
どき見ました。5〜7cmの目を引く
花でした。

〜マチュピチュめざして〜

だんだん標高が下がるにつれ(この日は1000m下った)、暑くなったが自然も変わる。ランやベコニアが多いし、蝶も舞っていた。インカ道は、日本流に言えば飛脚が通る道で、よく整備されており、普通は数十センチ程度の自然石が並べられた幅2m近い道だが、行く手に大きな一枚岩があったりすると、歩き易いように階段が削ってあるのには驚く。暗い岩屋を、階段でくぐり抜けたりする道もあった。


一枚岩を削った階段状の道です。


急斜面には石垣を積んでで道幅を
確保しています。

暗い岩屋の中を階段状の道が続いて
います。





Oreocallis grandiflora

ピンクの花をつけたこの木はたくさんありました。

花のアップです。

〜ウィニャイワイナ遺跡〜

12:00 ウィニャイワイナで昼食。ここはロッジがあり、食器も揃っていて、我々のシェフが料理をして供してくれた。お馴染みになったパサパサのご飯に茹で野菜や鶏肉や牛肉のシチュウ、豆料理などをかけて食べる。結構美味しい。昼食後は近くのウィニャイワイナ遺跡へ。マチュピチュより美しいという声もあるそうだ。確かに美しい逆扇形のアンデネス(段々畑)と、その端には各段に水を貯めては次の段に流れる仕組みの水路、そして住居跡。整った美しさだが規模は小さい。神殿もあるが、せいぜい十数世帯の集落だったようだ。

ランチ。この日はポーターたちが先に降りたので
簡単メニューになりましたが、十分美味しかった。

コカ茶。左が葉で、右のようにお湯を注いで飲みま
す。くせのない飲み物で、たくさん飲めますが、特
に元気になった気もしません。ティーバッグも普及
しています。

アンデネスの美しいウィニャイワイナ遺跡。

各段の端は水路になっていて、上の段から下の段へ
と、プユパタマルカ遺跡の写真(このページ上)の
ような水路が整然と続いています(画面斜め中央)。

神殿の入口を通して見えるのはウ
ルバンバ川です。

Begonia veitchii 遺跡の石垣から顔
を出していました。


トレイル中の名所にある立て札。
→マチュピチュ 6 km。←ウィニャ
イワイナ 500 m とあります。

Epidendrum funkii ランです。

これもランのようです。